チョギャム・トゥルンパは1940年にチベット東部で生まれました。生後13ヶ月で第11代トゥルンパ・トゥルクに認定され、チベット密教カギュ派とニンマ派の正統な後継者として専門教育を受けます。
1959年、中国のチベット侵攻から逃れるため、ヒマラヤを越えてインドに亡命。難民を引きつれ、艱難辛苦の道のりを踏破しました。
1963年に渡英し、オックスフォード大学で比較宗教学・哲学・歴史学・美術を学び、華道など日本の文化にも触れます(トゥルンパは禅の造詣が深く、後にアメリカで鈴木俊隆老師と親交します)。自動車事故で左半身麻痺となったことを機に、還俗して西洋に仏教を広める決意を固め、妻子とともに渡米しました。
1970年以降は、アメリカ各地で瞑想とチベット仏教のエッセンスを精力的に広め、ヴァジュラダーツ(現シャンバラ・インターナショナル)やナローパ大学を設立しています。
1987年、48歳で逝去。
破天荒な言行と数々のスキャンダルで論争を巻き起こしたものの、チベット仏教を西洋にもたらした人物として高い評価を得ています。仏教のエッセンスを平明な言葉で理知的に説いた彼の講話録は、スピリチュアルの古典にして金字塔として、世界中で愛読され続けています。
じつは、世界で初めてマインドフルネスという言葉を用いた人物でもあります。
スピリチュアル・マテリアリズム
トゥルンパが渡米した70年代はヒッピー文化のまっ盛りで、インドやチベットの「ものめずらしい風習」がもてはやされていました。
ヴェーダや仏教の「ものめずらしい形式」を模倣するだけで、「人としての生き方」をしめす教えの真髄が理解されない状況にトゥルンパは危機感を抱きます。
浅薄なエキゾチシズムや聖者のイメージへの憧れ、教義の概念化といった 『スピリチュアル・マテリアリズム(霊性のモノ化)』への抵抗として、トゥルンパは『仏教の聖者』というイメージを裏切る言行を繰り返しました。
たとえば、食事会である婦人に「チベットのグルから緑タラの行を伝授されたことがあります。緑タラとはどういった存在なのでしょうか?」と尋ねられたらば、「緑タラとは、そこのほうれん草です。白タラはあっちのカッテージチーズです」と答えたといいます。
トゥルンパは著書 "Cutting Through Spiritual Materialism" で、珍奇な神秘体験を求めたり、社会や他者を『俗界』と見下し宗教的世界に閉じこもる姿勢を、エゴイスティックな承認欲求や自己防衛による『自己欺瞞』であると批判し、わたしたちが生きる社会(現実世界)との交流こそが仏教の教えの本質であると言っています。
さらに「教えは時代ごとに吟味され、鉄のように打ちなおされ、その時代・土地に生きる人によって活かされるものでなければならない」と繰り返し述べており、たしかに彼の教えは全人的普遍性をそなえ、現代社会での生活に取り入れられるものが多いです。
グル至上主義とスピリチュアル・バイパス
トゥルンパに対する批判としてよくあげられるのは、『師(グル)への盲目的献身』を奨励しカルトの形成をはかった、というものです。
トゥルンパがよく引用するタントラの逸話には、師匠に散々こき使われたあげく、ぶん殴られた瞬間に一瞥を経験した弟子が登場します。他にも、あり金をすべて巻きあげたり、家を造らせておいて完成するやいな壊せと言ってみたり、一理あるものの弟子の悪いカルマを解消するという名目のモラハラエピソードがあふれかえっています。
(*ただし、タントラは密教です。紙に記された言葉を文字通りにとらえるのはナンセンスかもしれません)
妻や弟子に対するトゥルンパの暴力が取り沙汰され、「師のどんな横暴も、弟子は甘んじて受け入れなければならないのか」という命題は心理学の研究対象となりました。その後も、トゥルンパの後継者とされたトーマス・リッチ Jr や TM 瞑想のマハリシ・マヘーシュ・ヨーギー、近年ではホットヨガのビクラム・チョードリーなどなど、グルによる暴行事件は後を絶ちません。
一方で、グルは個人の性質や心情を無視され『聖者かくあるべし』というイメージを押しつけられます。常に大勢からの精神的虐待にさらされた状態であり、それがグルの人格破綻の一因になっているようにも感じます。
日本でも『グル至上主義』と『性的タントラ』をかかげるカルト教団が恐ろしい事件を起こしたことがありました。タントラのマハヨガの教義を曲解し、暴力を正当化したように見えます。
また、この教団のように、性行為により『超越的意識状態』が伝達されるとかたる流派や小グルも見られますが、タントラのヤブユムを曲解し、セクハラを正当化しているに過ぎません。そもそも『超越的意識状態』を求めること自体、エゴイスティックな承認欲求の現れであり、その達成によって得られるのは幼稚な優越感だけではないでしょうか。くわえて、タントラの神々は自分の一部の『象徴』であり、それを概念化したうえ姿形を模倣するなど、まさにトゥルンパが危惧した『スピリチュアル・マテリアリズム』だといえるでしょう。
トゥルンパと同年代のアメリカ人心理学者ジェラルド・メイは、そうした『グル至上主義』をはじめとするスピリチュアルの不健全さを批判したうえで、「今ここの感覚」「自身のあらゆる面を受け容れる」といったタントラのエッセンスと、自身のキリスト教徒としての宗教観をみごとに調和させてみせました。
また、メイはアメリカのスピリチュアルブームの初期から「瞑想リトリートの後、振り子のゆり戻しのようにエゴのコントロールや優越感が強まる」傾向に注目し、スピリチュアルの求道者によくある不健全な精神状態(スピリチュアル・バイパス)も「自分をコントロールしなければならない」という社会全体にはびこる強迫観念に由来すると述べました。
『わたし』とは操作され修正*されるべき機械ではないのだから、自分をコントロールしようともがくのをやめ、自身のあらゆる面を受け容れ、この身体に自ずとそなわった自然に心をゆだねよう、と提案しています。
わたしたちは野山の生きものたちと同じく、生来したたかでしなやかな『あるがままのいのち』なのですから。
*メイは "fix" と表現しています。「修正」のみならず「固定」という意味を含有するこの語を選んだ感性には驚嘆するばかりです
メイやシャーリプトラのように、わたしたちもタントラの教えを吟味し、おのおのの宗教観・文化・生活にあった形で取り入れていけるのではないかなぁと希望をこめて、ホームのトップに大好きな神社の鳥居をそえました。